ぱーるの日記

書評を載せると思います。

アタリマエを打ち破れ!―書評【ミシェル・フーコー『監獄の誕生』】―

 

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 簡単に言えば、「死刑=残酷」「監禁刑=残酷ではない」という図式を打ち破ろうとしたのが、本書です。

 

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 「溶かした鉛、煮えたぎる油、焼け付く松脂、蝋と硫黄との溶解物を浴びせかけ、さらに、体は4頭の馬に四裂きにさせたうえ、手足と体は焼き尽くして、その灰はまき散らすべし」。ルイ15世の暗殺未遂を企てたダミアンに対して、このような有罪判決が下された。しかし、現代において、このような悲惨な刑執行の様子を見ることはない。罪を犯せば、裁判所で裁かれ、刑務所に入れられる。このような処罰手段の変化はどうして起こったのだろうか。その変容の解明を出発点とし、刑罰と関わる権力や人間諸科学の分析をすることが、本書の目的である。

 まず、上記のような身体刑はなぜ行われたのだろうか。それは王が自己の権力を表明するためである。王政下において、犯罪は即ち法を発布している王権への反抗になる。だから、犯人を過激に処罰することは、王が自らに対する反抗を許さない、と刑を見物する民衆にアピールすることに繋がっていた。

 だが、18C末になると、社会状況が変化する。1つは、身体刑に対する反発が民衆の中に発生した。また、流血沙汰の犯罪が減少し、盗みが増加した。大規模な武装集団は解散し、こそこそと罪を犯す徒党が至る所に現れた。また、所有権が確立することで、下層民による盗みが処罰の対象となった。都市人口が増加していたことも相まって、従来見逃されていた盗みを細々と処罰するには、華やかな身体刑は効率が悪かった。

 これらの変化は、刑罰の改革を推進させた。改革者はなるべく刑を軽くし、民衆からの反乱を抑えようとした。また、道路で盗みを繰り返した犯人に道路の補修工事を科すように、犯した罪と刑とが民衆の頭の中で結び付くようにし、従来の見せしめとしての刑の効果を維持しようとした。

 だが、一般的になったのは改革者たちの案ではなく、監獄による拘禁刑だ。なぜか。それは、監獄による絶え間ない訓練が受刑者を従順で、主に経済的側面で有用な人体に仕立て上げるからだ。

 学校や軍隊や工場、監獄だけでなく、社会全体に規律・訓練を染みつけるために3つの方法を用いた。まず、多様性をひとまとめに序列化して管理する、次に、規律を法律の様に制度化し逸脱者を罰し矯正する、そして個人をより明確に管理するために試験やアンケートを実施する。かつて自身の権力を誇示した君主とは異なり、規律・訓練の権力は自身を隠し、個人を監視し彼らに関する知を引き出し管理する。このような一方的で永続的な監視の状態をフーコーは「パノプティコン」と呼んだ。こうして、規律・矯正は「国民的なもの」になった。

 フーコーの意見をまとめるとこうなる。つまり、身体刑から監獄による拘禁刑へと処罰の形が変化したのは、ヒューマニズムからではなく、犯罪形態の変化や経済的有用性の観点からである。言い換えると、身体刑は残酷だから唾棄されるべきもので、拘禁刑は残酷ではない。残酷が排除されたと言う意味で、刑罰は進歩しているとは言えないのである。

 では、なぜフーコーは本書の(サブ)タイトルを『“監獄”の誕生』としたのだろうか。原題が『監視と処罰』であることを鑑みれば、本文中に登場するような学校や軍隊、工場の『誕生』でもよかったのではないか。

 その理由の1つに、囚人たち一人一人の声を汲み上げるべく創設した「監獄情報グループ(GIP)」にフーコーが携わっていたことが挙げられる。フーコーは知識人として団体を代表するのではなく、当事者たちが声を上げることのできる手助けをするとのスタンスで活動していた。フーコーが本書を「問題にしている人から理解される」ことを望んだことは、正に彼のスタンスを示している。

 もう1つの理由は、現代における監獄による処罰が進歩史観的に正しいものだと思いこまれていることを批判しようと試みたからである。上記の様にフーコーは「身体刑=残酷」「監禁刑=残酷ではない」との単純な図式が間違っていることを本書内で指摘した。フーコーは、正当な批判の方法をこう述べている。「受け入れられている様々なpracticeはいかなる種の明証性や慣習性に基づいているのか。そして、獲得されて改めて反省されることのないような、いかなる思考様式に基づいているのか、と言うことを見極めることこそが批判」と。まさしく、本書で行われた方法と同じである。であるならば、その方法を適用した監獄が反省されることない慣習であると批判したと言える。

 フーコー古代ギリシアディオゲネスの「価値を変えろ」と神託の意味にしばしば立ち返ったと言う。「価値を変えろ」とは、見方を変えろと言うことだ。反省することなく既存の枠に当てはめて物事を見る姿勢を変えろと言ったのだ。つまり、「身体刑=残酷」の単純な図式を捨てることで、各時代の刑罰が各時代の状況に適合したものであったことを明らかにした。本書の成功はフーコーが「自らの価値を変えた」からこそである。